愛に名前はない

  • 超短編 2,190文字
  • 日常

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  • 「アンドロイドに、人間の名前を付けてはいけない」

    アンドロイドを買うとき、会社の先輩にそう言われた。
    過度な愛着がわくのを避けるためだという。
    とはいえ、呼び名がなければ家事の手伝いもさせられない。
    私はその子を「はいいろ」と名付けた。人間のようで人間ではない
    グレーな存在に思えたからで、つけた後に後悔した。
    もっと愛嬌のある名前にすればよかったと。

    私ははいいろに、自分のことを名前で呼ばせた。
    「しらはさん」と。はいいろには、姉妹とは言わないまでも、
    戦友のような存在になってほしいと思っていた。
    でも、呼び捨ては少し距離が近すぎるか。そう思って
    さんをつけさせた。

    はいいろは介護用のアンドロイドだった。
    私の父と母の両方が急病に倒れ、一人っ子で頼る当てのない
    私が助けを求めた相手、それがはいいろだった。

    気まぐれな母のわがままをいなし、短気な父の癇癪をなだめる。
    人工知能は大したもので、3か月働いただけで、はいいろは両親の
    信頼を見事に勝ち取った。両親は、私の指示には従わないくせに、
    はいいろの指示には子供のように素直に従った。
    そういう場面が何度もあった。

    優しいAIだった。両親にとっては娘のようで、私にとっては
    妹というより、経験豊かな姉のような存在だった。
    だけど、介護用アンドロイドは金がかかる。
    両親が相次いで亡くなった後、私は資金難に見舞われた。
    遺産は介護費用に消え、私は就職先を探す必要があった。

    だからはいいろを手放すことにした。気の知れた友人に譲りたいと
    思ったが欲しがる人はなく、アンドロイド専用のマーケットに出品した。
    旧式のアンドロイドだったから、もちろん高値はつかない。
    それでも買取希望者が複数現れたので、一番大事に使ってくれそうな
    人を見定めようと、彼らに会うことにした。

    するとそのうちの一人がこういう条件を持ち出してきた。
    「初期化はしないでください。工場出荷時の状態ではなくて
     経験を積んだ後のはいいろさんに来ていただきたいんです」

    悪くない、と思った。アンドロイドを売買するときは、その電子頭脳を
    工場出荷状態にするのが普通だ。だがそんなことをすれば、
    はいいろははいいろでなくなってしまう。両親や私のことを
    忘れ去ってしまう。全部。それを避けられるなら、と思った。

    法律や規約上は問題ないという。ただ、オーナーの氏名は
    書き換えなければならない。はいいろのオーナーを「八雲しらは」から
    買い手の名前にしなければ、譲渡はできない。

    少し、迷った。私ははいいろを手放してよいものだろうか。
    会社の先輩に相談すると、彼は言った。

    「手元に置いておくか、さもなくば、初期化したうえで譲るか、だ」
    記憶を残したまま譲ることだけはあり得ない、と、彼は強調した。

    「なぜですか?」何か大事なものを貶されたような気がした。
    「はいいろから記憶を奪えっていうんですか?」

    「気持ちはわかる。俺たちに人間にとって記憶はかけがえのないものだ。
    けれどロボットにはそうじゃない。ロボットにとっての記憶は、ただ
    円盤の上に刻まれた点に過ぎないんだ」

    そういわれて、逆に意地になった。
    「記憶を消すなんて、できません」

    だけど、仕事もないまま、家で寝かせておくこともできない。
    稼働させてしまえば、半年ごとにメンテナンスが必要になり、
    安くない費用が掛かる。だったら、どこかで仕事をしているほうが良い、
    押し入れの中で埃をかぶっているよりは。

    「オーナーの書き換えは、お前がやるのか」

    「私の権限がないとできませんから」

    「傷つくのはお前だぞ。ロボットは主人がだれであろうと気にしない」

    その言葉の意味を、もう少しよく考えるべきだった。

    その日、売買契約を締結した私は、買い手の自宅ではいいろの
    電子頭脳にアクセスした。

    「オーナーを変更しますか?」と、無機質な声ではいいろがいう。

    システムを操作するときはいつも、こういう機械じみた声を出すのだ。
    私たちとおしゃべりするときのはいいろは、本当に心のこもった声で話す。
    そのことを懐かしく思いながら、私は新しいオーナーの名前を告げた。

    「オーナーを、真野信哉さんに変更します」

    「しらはさん。この操作は取り消しできません。本当に変更しますか?」

    はい、と私が答えた、その瞬間、私とはいいろのきずなは断ち切られた。

    はいいろが新しいオーナーの前に立ち、恭しく挨拶する。
    初対面だというのに、もう何年も前から知っていたというような
    そういう親しみのこもった声で。
    嫉妬を覚えた。そんな自分に気づいて激しく動揺した。

    それからはいいろは、私をオーナーの客人として遇した。
    「八雲様」と、苗字で呼んだ。
    両親のことを覚えているか? と聞いたら、覚えている、とは言った。
    だけど、その思い出は語らなかった。

    「その記憶にアクセスする権限が、今の八雲様にはありません」

    私は大きな間違いを犯したのだと知った。
    別れた後でも、はいいろは家族でいてくれると信じていた。
    時には過去を懐かしみ、両親の死を悼んでくれる、と。

    違う。はいいろはどこまで行ってもアンドロイドだ。
    パスワード一つ入力するだけで、彼らは家族を取り換えられる。
    昔の家族のことなど、気にも留めない。

    いつからだろう。
    わたしがはいいろを、人間のように扱い始めたのは。
    いつからだろう。
    それが人間もどきであることを、忘れてしまったのは。

    家には歩いて帰った。一人で帰った。
    夕日を背にして歩く私の前に、黒い影が伸びていた。

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      なかまくら

      ああ・・・
      私たちにとっての仕事の同僚ももしかしたら、アンドロイドと変わらないのかもしれなくて、
      離れてしまえばそれで終わってしまうものだったりするのかもしれません。
      アンドロイドと何が違うというのは難しいですね。

      最後の一文で、黒い影が・・・とあり、
      ”人間”の私の影は黒い。ならばはいいろの影は・・・?
      と思ってうなりました。お見事でした。


    2. 2.

      ヒヒヒ

      なかまくらさん、コメントありがとうございます。
      そういわれてみれば、転職していった同僚等の親密さもある意味「条件付きの親しさ」と言えますね。

      行く手の影を見つめて物思いにふけるのも、まだ人間だけの機能だと思うのです。